HOME | ブログ | Re:Juu号外

Re:Juu 号外

リジュウ

柳河藩札とわが町、三橋町

リジュウ

柳河藩札とわが町、三橋町

2015.7 木蝋晒業に適した三橋町

 

柳川藩札と木蝋

 
今回は、号外としまして、柳川の歴史についてのちょっとしたお話です。
 
幕末、柳川藩は借金が多く財政危機でした。そこで改革を命ぜられたのが、立花壱岐。壱岐は、柳川藩の産業振興を図ります。特に和紙、お茶、菜種油、石炭、そして、櫨の木で作る蝋の生産を奨励しました。
 
また、柳川藩札を割安で柳川藩以外の商人にも売ったため、その商人たちは、他藩で買わず柳川藩で買うようになりました。その効果で、たった3年で財政を立て直したといわれています。

 
木蝋

2015.7 木蝋晒業に適した三橋町

 

柳川藩札と木蝋

 
今回は、号外としまして、柳川の歴史についてのちょっとしたお話です。
 
幕末、柳川藩は借金が多く財政危機でした。そこで改革を命ぜられたのが、立花壱岐。壱岐は、柳川藩の産業振興を図ります。特に和紙、お茶、菜種油、石炭、そして、櫨の木で作る蝋の生産を奨励しました。
 
また、柳川藩札を割安で柳川藩以外の商人にも売ったため、その商人たちは、他藩で買わず柳川藩で買うようになりました。その効果で、たった3年で財政を立て直したといわれています。

 
木蝋
 
木蝋

わが町の先人達に感じる「誇り」

 

生産日本一の三橋町

 
櫨を圧搾し、凝固させることを木蝋といい、それを溶解、漂白し、そして凝固、削り、天日干しを3回繰り返すことを晒し(さらし)と言います。写真のような白く艶やかな蝋ができます。木蝋晒業は、日照時間が長く夏季の天候が良い三橋町が適していました。明治以降も、化粧品や文房具、繊維製品にも使われたため、三橋町は、昭和20年代に生産日本一の町となりました。
 
しかし、現在、ほぼ残っていません。かつては、小遣い稼ぎで子ども達も手伝っていたといいます。ご年配の方は覚えていらっしゃるのではないでしょうか?

わが町の先人達に感じる「誇り」

 

生産日本一の三橋町

 
櫨を圧搾し、凝固させることを木蝋といい、それを溶解、漂白し、そして凝固、削り、天日干しを3回繰り返すことを晒し(さらし)と言います。写真のような白く艶やかな蝋ができます。木蝋晒業は、日照時間が長く夏季の天候が良い三橋町が適していました。明治以降も、化粧品や文房具、繊維製品にも使われたため、三橋町は、昭和20年代に生産日本一の町となりました。
 
しかし、現在、ほぼ残っていません。かつては、小遣い稼ぎで子ども達も手伝っていたといいます。ご年配の方は覚えていらっしゃるのではないでしょうか?

木蝋
 
アイコンをクリックすると
各リフォームの記事一覧をご覧いただけます。